中学、高校という青春時代を熊本で過ごしました。住んでいたところは、路面電車の終点、健軍町駅に近い、東町というところです。熊本地震の震源地となった益城町に隣接する町でした。地震後、まだ面影の残るところが、無残な状況でテレビ映像に流れるたびに、心を痛めました。実際、今でもお付き合いのある友人数名も被災してしまいました。そのような関係もあり、熊本への応援は積極的にしていこう心に決め、出来る限りの対応をしてきました。ボランティア活動から、設計士としての業務のお手伝いなど、状況に応じて要求されることも変化してきました。4月14日で、地震発生から1年が経ちます。忘備録として、この1年間で活動したことを記録しておきたいと思います。

 熊本地震に業務として関わる最初のきっかけは、応急危険度判定士としてでした。この資格をとったのは、福岡西方地震の後。ちょうど、12年前福岡で起こった地震がきっかけでした。







 亡き祖父の自宅があった舞鶴という地区付近は、警固断層のすぐ近く。現在の事務所ビルでもある場所の周辺は、被害がとてもひどく、あちらこちらで、建物の損傷が出ていました。
 地震の当日は、とても印象に残っています。マンション1階の自宅にいたのですが、尋常じゃないくらいに揺れて、子供と一緒に机の下に逃げようとしていたのですが、一歩も動けなかったことを覚えています。その後、当時所属していた事務所の手がけた物件の被災状況を確認すること、既存のお客様の建物状況確認などの業務の合間にこの舞鶴付近の状況を確認してきました。
 この地震をきっかけに福岡で行われた応急危険度判定の講習会を受けることにしました。

 実際の設計士としての業務から熊本地震を見てみたいと思います。
地震発生から時系列でどのような業務があったかを表にしてみました。

 まず、応急危険度判定の調査委員として西原村に2日間入りました。すでに地震発生から9、10日程たっていましたので、家の人も貴重品を取り出したり、修理できる分に関しては自分で手直ししたりという状況でした。今回の地震の大きな特徴の一つに震度7が2回きたということが挙げられます。被災建物のオーナーへのヒアリングでも2回目に崩壊した建物が多いことがわかりました。また、大きな余震が続いていたとはいえ、2週間程度で完了するはずの判定がかなり時間を要していたということが、今後の反省すべき点だと感じています。

 その他、西原村で感じたことは、地域のコミュニケーションがすごく取れている地域だということ。ご近所の人の状況やどこに高齢の人や病気の人がいるかなど、かなりの範囲で自治会や消防団などで把握されていて、人への被害が少なかったのもそのことが要因のひとつではないかと感じています。これが、人との関わりの少ない都市部など起こった場合には、どのようになるのだろうと、問題意識も芽生えました。

 感動したことは、被災して大変であろう人たちが、調査に入る私たちに、お茶や水、お菓子などのおもてなしで迎えいれてくれたこと。気にしないでくださいと最初におことわりしているのにです。崩壊した建物に赤い紙を貼ることは、本当につらいのですが、その心配りに救われました。

 
 報道などでご存知の方も多いとは思いますが、 応急危険度判定は、被災された建物の危険度に応じて、赤(危険)、黄(要注意)、緑(調査済)とステッカーを貼り、住人の方やその周辺の方々へ周知するというものです。
 私が調査したのは、西原村の一部だったのですが、52件調査したうち、赤27件、黄13件、緑12件と半数程度が危険という判定で、被害の大きさを物語っていました。

 その次に依頼があったのは、り災証明の発行のお手伝い、次が耐震診断の協力依頼でした。耐震診断の調査の対象は、昭和56年5月31日以前に着工した建物です。調査した後に事務所に資料を持ち帰り、データを整理し、耐震の評価を出していきます。

 結果報告をするお客様にはまず、下の表を使って建築基準法の変遷のお話をしています。大きな地震があるたびに基準が変わっているということをわかっていただくためです。特に1981年(昭和56年)と2000年(平成12年)に大きな変化がありました。


 また、次の資料も提示しています。熊本地震の被害状況を建物の建った年代別に分析したデータです。国交省からの報告にあった資料をもとに作ったものです。

 大きな地震が起こるたびに建築基準法の基準が変わってきました。特に昭和56年と平成12年に大きく変わっていて、その年度ごとに建物の被害状況を割合で表しています。
 地盤の状況や建物の形状、また施工状況や劣化具合によって、建物の被害状況は変わってくるとは思いますが、単純に表しているのは、年代の新しい建物ほど倒壊、崩壊の割合が少なくなっているという状況です。
 おそらく、この熊本地震を受けて、また基準が変わることが予想されますが、古い年代の建物も今の基準に合う、または、それに近い構造に補強していく必要がありそうです。

 以上が熊本地震が起こってからの業務で、必要とされることも変化していったことがわかります。今後は、まだ耐震診断を受けられていない方々への対応や、次に耐震診断の結果が悪かった方への補強計画や補強工事へと移っていくのだと思います。今後も経過や必要な情報等あれば、このホームページにアップしていきたいと思います。

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